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活動報告(2011後半)

▼執筆活動報告
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連載タイトル=橘川幸夫の オレに言わせれば!
標題=社会貢献しないと本業が成立しない」ビジネスモデルで急成長
掲載媒体=日経ビジネス・オンライン
発行会社=日経BP社
公開日=2011年11月17日
*参考=リーフラスと一緒に作った、中学校の部活動についての本です。部活の問題点と可能性を探る。 イマドキの「部活動」
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標題=Webの未来 PDF版
掲載媒体=Web Site Expert #39
発行会社=技術評論社
公開日=2011年11月17日
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連載タイトル=橘川幸夫の オレに言わせれば!
標題=官僚という仕事(仮題)
掲載媒体=日経ビジネス・オンライン
発行会社=日経BP社
公開日=2011年11月2日
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標題=ジョブズは何処から来たのか。ロック音楽が鳴り響いた人生
掲載媒体=「AERA スティーブ・ジョブズ 100人の証言」
発行会社=朝日新聞社
公開日=2011年11月1日
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連載タイトル=橘川幸夫の オレに言わせれば!
標題=誰がマーケを殺したか
掲載媒体=日経ビジネス・オンライン
発行会社=日経BP社
公開日=2011年10月19日
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標題= 僕らが「ジョブズの魂」から学ぶもの
掲載媒体=日経ビジネス・オンライン
発行会社=日経BP社
公開日=2011年10月6日
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▼書籍企画中(タイトルは仮題)
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仮題=日本再起動宣言
副題=
概要=
発行会社=
発行予定=
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仮題=ロッキングオンの時代
副題=70年サブカルチャーシーンの一断面
概要=
発行会社=
発行予定=
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▼私塾
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リアルテキスト塾
◇文章技術を教える塾ではありません。何故書くか、何を書くかという文章に向かう根本的な動因を一緒に考察しつつ、ものを考えるヒントと橘川流の方程式を教えます。

詳しくはこちらを。
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▼イベント
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デメ研忘年会
12月10日(土)
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▼ーシャル大学・デメ研分校
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インタビュー番組を作っています。
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今、原稿を書くこと(2)2011/10/24

今、原稿を書くこと(2)2011/10/24

◇ネットは、書きたいことがかけるし、世界中の誰でも閲覧可能である。素晴らしいメディア・インフラだと思う。ネットで書く文章は、誰から頼まれたものではなく、自分の意志を書きたい人が書いたわけだから、すべて書いた人の本当の気持ちが伝わる。それは間違いないだろう。

◇しかし、それまでも感じていたが、311東日本大震災の時に確信を持ったのは、ネットで当たり前になっていることが、必ずしも世の中全体に伝わっていない。ネットのマジョリティと、世の中のマジョリティは違うということ。ネットのヘビーユーザーは全体の3割り程度だろう。その3割の中で更に目立つ人たちが多数いて、どんなテーマでも、同じような人が行う発言が多数を占めたりする。この動きだけを見て、世の中全体の動きだと思うと間違えることがありそうだ。

◇ネットでは、自由に好きなことを書けるし、誰もが閲覧することが出来る。しかし、ネットの世界で情報を閲覧している人は、それを選んで読んでいるので、よほどのひねくれた人でなければ、自分の考えやセンスの違う人のサイトを丁寧に閲覧したりはしない。つまり、僕がネットで何を書こうが、読んでくれる人は、最初からの僕の理解者か、好意的に思ってくれる人が大半だろう。それはそれで嬉しいものだが、それだけで良いのか、という思いも同時にある。

◇一般メディアに原稿を書くとは、そこに、そのメディアが抱えている読者層があって、そこで表現するとは、その観客に向かってパフォーマンスするということである。僕のことを知らない人たち向けにアピールすることだから、当然、外したり批判されたり無視されたりするだろう。しかし、コミュニケーションとは、異質な人たちに理解を求めていく作業ではなかったか。そうやって自分をさらしながら、自分の過ちをチェックしていく作業ではなかったか。

◇本来、両方必要なんだと思う。内側にこもって深みをつけていく作業と、外側に出向いて、広がりを求めていく作業の。今、この文章は、内側の「仲間」向けに書いてる(笑)。ここで、自分なりに確かめられたものを、無関係の世の中全体に晒していく必要を感じている。


0.8秒と衝撃。 1st ALBUM ライナーノーツ

0.8秒と衝撃。 1st ALBUM ライナーノーツ

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標題=0.8秒と衝撃。 1st ALBUM ライナーノーツ
掲載媒体=Zoo&LENNON
発行会社=EVOL RECORDS
執筆日=2009年春
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 真夜中の布団の中で、自分がどこで寝ているのか突然分からなくなった恐怖で眼を覚まし、呆然としたことがないか。あるいは真夜中の住宅街で、間違いなく目的に近づいているはずなのに、何度も同じ五差路に出てしまうことは、ないか。2009年の旧正月。僕らは何処にいるのだ。

 「涙色に濡れた横顔 僕の未来は何処にある
 言葉には出来ない想い 昔の話で笑った
 八月の空 浮かぶ雲の白さ
 僕の寂しさ 締め付けてく」(この世で一番美しい病気)

 美しい病気は記憶喪失なのか心神喪失なのか。いや、そうではない。僕らは、ずっといつもくっきりとしらふなんだから。0.8秒と衝撃の音楽に触れた時に、ある懐かしさと既視感と同時に、今、自分がどの時代にいるのかという、足元を揺らす眩暈(めまい)を感じた。それは悪い感じではなく、むしろ、さわやかな震えをともなうものであった。

 塔山忠臣と会って話をする。僕が昔よく会っていて、やがて普通にくたばった友人と話しているような気がする。そうなんだ、2009年という年は、1969年なのだ。社会のアナーキーな膨張拡大に限界を感じ、人々の内部に鬱屈して沈殿した液体がニトログリセリンに変化した、あの時代だ。唐突な犯罪が、論理でも感情でも否定しても、なぜか心臓に染みてきた、あの時代だ。僕は、連続ピストル射殺事件の永山則夫も、瀬戸内シージャック事件の川藤展久も、学年が同じだ。三島由紀夫が戦後の混乱の中で育った自分たちのことを「我が世代に強盗諸君の多いことを誇りに思う」と言ったことがある。1969年に三島のその発言を聞いて「同じく」と呟いた。

 ROCKとは1969年にスタートした。僕にとってはそうだ。それは時代のエネルギーそのものを音と言葉に詰め込んで、客席に向けて投げ込んだ火炎瓶のようなものだ。日比谷の野外音楽堂、新宿のソウルイート。そこには音楽を楽しむなんていう余裕のない人々の混乱そのものが空間として表現されていた。超絶技巧もシャレた韻踏もないけど、そこには確かに抑え込まれていたものを爆裂させたいという欲望と、冷めた言葉のメッセージが転がっていた。

 0、8秒と衝撃の音楽は、「あらゆるリズムはすでに刻まれたよ。あらゆるメロディラインは奏でられきったよ」というモノ分かりのよい達観の歴史の上で、はじめようとするものではない。そんな歴史観はさっさとアルバイト仕事でこなして、ギターと声だけで、ロックのスタート地点に戻って、新たな出発をする宣言だ。生きるとは、ねじまげられたものを、ねじり返してまっすぐにすることなのだ。Twist and Shout。言葉でツイストして、肉体で叫ぶ。

 「泣きながら 君を探してた
 見つけ出すから 消えてしまわないでね
 愛してた 君を愛してた
 僕の部屋には あの日の黒猫がいる」(黒猫のコーラ)

 人の一生なんて、神様のまばたきのような時間である。でも、その0.8秒の閃光の中で、僕らは出会い、僕らは愛して、僕らは別れて行く。そのことが奇跡であり衝撃なんだ。さぁ、このアルバムを聞いて、あとはゆっくり寝よう。明日すべてが始まる。




【橘川幸夫】 今、原稿を書くということ(1)

今、原稿を書くということ。


原稿を書き始めている。僕は、20代で原稿を書き始め、30歳で最初の単行本を出してから、いろいろな媒体で原稿を書いてきた。80年代、90年代は、評論の単行本を出すと、一般誌や業界誌などから原稿依頼が来た。僕の最後の評論本は「暇つぶしの時代」(平凡社、2004年)であり、その後は、「深呼吸する言葉」のような、フレーズ制作に夢中になった。出来るだけ短いフレーズの中に、ソウルもロジックも詰め込んだ言葉を作って、次の世代に贈りたかった。

僕は戦後社会を生きてきて、戦後社会が、成長・飽和・崩壊していく現場を肌身をもって知っている。80年代のバブル崩壊以後、日本社会がゆっくりと崩壊していく危機感を感じながらも、その崩壊過程の中で少しずつ生まれてきた新しい可能性をじっくり見守りたいという気持ちもあったし、いよいよ生活インフラとして定着してきた情報化社会の可能性(良い意味でも悪い意味でも)の流れも、ゆっくり見ていたかった。

戦後の生産至上主義が生み出した豊かさと、それを生み出すために失わざるを得なかったものへの愛惜を感じながら、次の社会目標を、死ぬまでにゆっくりと定めておきたいと思った。

そのペースが狂ったのは311である。ゆっくり崩壊するはずであった戦後日本社会が一気に崩壊した。それも東北である。更に汚染である。そして、その復興体制やプログラムは、すでに崩壊の過程にあった、戦後社会の方法論そのものを持ち出している。このままでは、東北は自然災害で崩壊した上に、人為的に繰り返し崩壊させられる。それは、日本全体を崩壊させることにもなるだろう。

僕の心は一気にヒートアップした。戦後社会の方法論ではない、新しい、これからの日本の方法論を一刻も早く、見つけなければならない。現実の中から、見つけなければならない。群れずに、凝視めなければならない。言葉を紡ぐしかない。

とゆーことで、僕は一度終わった人間だけど、もういちど、まっさらの立場で、物書きの道を目指すことにしました。体力ないけど、走ります。媒体(ステージ)いただければ、基本的に引き受けます。よろしくです。


【橘川幸夫】 頼まれた仕事はさっさと仕上げて、頼まれもしない仕事に着手しろ。

頼まれた仕事はさっさと仕上げて、頼まれもしない仕事に着手しろ。

頼まれた仕事は作業である。これまでのルールに従って、どんどん効率良く進めるべきだ。でも、仕事って、本来はクリエイティブなものだ。あなたにしかできない仕事を、その先でトライすべきだ。その仕事にトライするためにも、頼まれた仕事は、さっさとやって時間を作りなさい。忙しさに追われるだけの人は、時間が与えられてもクリエイティブなことはできない。(希望の仕事術/バジリコより)


【橘川幸夫】 山手國弘さんの情報の公開準備を進めています。

山手國弘さんの情報の公開準備を進めています。

創業夢宿・分室


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■山手國弘
1924年10月10日、広島県生まれ。戦争とその後の混乱の中で、東京大学医学部を中退し、生活装置研究会を設立。その後、企業と社会のオリエンテーション機関として有限会社「イオ」(集団頭脳プロダクション・生活プロダクション)を設立。現代ヨガの会も主宰し、「原気呼吸による脱カルマ瞑想」を江古田・浅間湯コミュニティ・ホールにて行なっていた。1996/12/5に亡くなられる。
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 山手國弘さんは、僕が知りうる限りでは、戦後社会の最大の知性であり、最強のラジカリストであった。1980年頃に、たまたま僕の読者だった倉橋くんという人が、山手さんの瞑想会に参加していて、連れていってくれた。山手さんは、僕より26歳年上だったが、ロッキングオンのこともロックのことも、良く知っていた。というより、森羅万象あらゆることを知っていたように思えた。しかも、単に知識の量が多いということではなくて、物事の本質に迫る鋭さとパワーは尋常なものではないことがすぐに分かった。

 僕は30歳で、それまでの活動を一度、すべて捨ててフリーになった。たまたま、平凡社の下中直也さんと出会い、銀座でやっていた事務所に転がりこむことになった。山手さんと話していると、偶然にも、戦後初期の山手さんたちの活動を支援していたのは、下中直也さんの父上で平凡社を創業した下中弥三郎さんだということを知る。弥三郎さんは、山手夫妻の仲人でもあった。

 また、当時、メディアの世界で知り合った小谷正一さんに、よく食事をごちそうになったりして可愛がってもらっていたのだが、小谷さんと山手さんは戦後初期からの同志関係にあったことも知った。そういえば、昔、故・草柳大蔵さんが仙台放送でやっていた対談番組にゲストとして呼ばれたことがあるのですが、番組のあとでバーで雑談した時にも、山手さんの話題になって驚いたことがある。なんだか、不思議なつながりを感じつつ、山手さんとの付き合いは15年に及び、さまざまな発想のヒントをいただいた。

 山手さんが生きていたら、311以後の日本をどう見るだろうか、と思う。すでに他界してしまったので、そのことを山手さんの口から聞くことは出来ない。出来ないが、彼がかつて語った言葉を再吟味して、これからの社会について、僕たち自身の言葉で語らなければならないだろう。

 今回、山手國弘さんの長男である、山手義弘くんとの共同作業で、アーカイブを作ることになった。この困難で閉塞的な状況の中で、方向性の光がみつけられれば幸いである。(橘川)




【橘川幸夫】 信國乾一郎

【橘川幸夫】 追悼・信國乾一郎くん

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標題=追悼・信國乾一郎くん
掲載媒体=一週間の日記
執筆日=2009年12月22日
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 2009年12月22日(火)
 今朝、信國乾一郎くんが亡くなった。食道がん。44才。若すぎる。

 信國とは、林雄二郎さんを囲む勉強会「森を見る会」を一緒にやっていたのだが、今年になってから電話しても出ないし、メールの返事もないので、何やってるのだろうと思っていた。夏に澤田美佐子さんから連絡があり、ガンであることを知らされた。僕にも言わずに一人で治そうとしていのだ。見舞いに行くと、相変わらずの強気な姿勢のままだった。

 信國と出会ったのは1994年ぐらいだと思う。寒い冬だった。リクルートの澤田さんが、当時、東京に移動したばかりの高橋理人さんと、若いメンバーで面白い奴ということで信國を連れてデメ研にやってきた。近くのビートルズが流れるバーで、みんなで飲んだ。信國は一目で才気のオーラを発していたのが分かったが、酔うにつれ、なぜか僕は初対面の彼に攻撃的になった。「信國、おまえは、エイリアスのままでここに来たな。本当の自分は自宅の押し入れにしまったままで、ここにいるのはエイリアスだろう」と。エイリアスというのはMACの用語で、ウィンドウズの場合はショートカット。澤田さんが「エイリアスって4Kぐらいしかないよね」と、上手い合いの手を入れてくれた。信國のオーラは間違いなく重量級だったのだ。

 初対面で、相手のことも何も知らずに「エイリアスだ」と決めつけられたわけだが、なぜだか、その夜以降、僕になついてくれた。信國はあちこちで喧嘩ばっかりしているトラブルメーカーだったが、僕の言うことは素直に聞いてくれた。

 やがて、リクルートでは、ミックスジュースが始まり、ISIZEになってインターネット事業に本腰を入れる。リクルートが一番リクルートらしく、雑多な人材がうごめいていた時代だ。信國は「じゃマールon the net」の編集長になる。「じゃマール」は読者伝言板の情報交換メディアだ。参加型メディアを追及するんだと、僕の事務所から「ポンプ」のバックナンバーを持っていき、スタッフたちと分析をしていた。「じゃマール」は、リクルートのメディアなので、とてもやりにくかった。例えば、北海道の人が東京に引っ越すので安い家を探してます、というような情報は載せられなかった。なぜなら、リクルートには住宅情報や賃貸情報のビジネスがあるから、その領域の業務に侵蝕するような情報は掲載出来なかった。信國は、日曜日に個人の時間を使って都内の不動産屋さんを回って情報を集めて、その投稿者に送ったのだ。そういう奴なんだあいつは。

 僕が2000年に「21世紀企画書」という本を出して、大阪で出版パーティをやった時は、リクルートの信國の部署の大半を連れてきてくれた。平日の昼間だと言うのに。信國は僕の弟子だ。これも、僕が勝手に「おまえは弟子だ」と決めたので、信國はびっくりしてた。でも顔は笑っていたので、良いのだろう。

 先週、澤田さんからメールが来て病院に入院したことを知った。見舞いに行ってあげてとも書いてなかったが、すぐに、亀田武嗣くんと一緒に駒沢病院に行った。いろんな点滴がぶらさがっていて、呼吸のマスクもしていて、足なんか骨だけのように細い。でも信國の重量感あるオーラは同じだった。むしろ顔付は精悍そのもので、サムライのようだった。

 信國が僕に話したいことがあると言う。信國に近づいて話を聞いていた。彼は、夏にNHKのクローズアップ現代で放送した番組のことを話しはじめた。それは「助けてを言えない30代」という番組で、学生時代はラガーマンだった男性が、仕事に失敗し、誰にも助けてと言えないまま、孤独な餓死をしていったという話だ。

 昨年、秋葉原で27才の加藤智大が無差別殺人を引き起こした。その事件の後、僕らは「森を見る会」の定例会を霞ヶ関ビルのリクルートエージェントの一室で行っていた。その時、林雄二郎さんが、参加していた僕や信國ら10名ぐらいに対して、衝撃的な発言をしたのだ。「君らだから言うが、僕は、あの犯人の気持ちが分かるような気がする」と。林さんはその時、91才である。

 帰りのタクシーの中で僕は信國と一緒だった。信國が「あの発言、どういう意味なんでしょう」と聞くから「林さんは1968年に情報化社会という言葉を作った時に、ものすごい明るい未来と、正反対の暗すぎる未来をイメージしたんだと思う。その暗い未来に日本は突入したということじゃないか」と答えた。

 ベッドの中で信國は、こう言った。「橘川さん、あの時の答えが分かった。そのヒントがクローズアップ現代の番組だ。助けてと言えない30代は、子どもの時に、どう教育されたか。一つ『自分のことは自分でしなさい』一つ『他人に迷惑かけてはいけません』この二つの言葉に呪縛されて大人になったんだ。だから、助けてと言わずに餓死して行ったんだ。20代の加藤も同じように助けてと言えなくて自爆しちゃったんだ。この教育システムをなんとかしなければダメだ」と。信國、見事なロジックだ。

 僕は同意しながら、ほとんど泣きそうになった。「助けて」を言えないのは、おまえじゃないか。こんなに足が細くなってるのに、おしめして、点滴ぶらさげて、呼吸も一人では出来なくなってるのに、どうして、そんなに精悍なツラしてるんだ。もっと、メソメソしたら良いじゃないか、と。

 信國の手を握って話を聞いていた。信國が時々、手を強く握るので「おっ、握力はあるなあ」と言うと、にやっと笑って更に強く手を握った。生命をふりしぼるように。信國らしいといえば、こんなに信國らしい仕草もない。信國の手の温もりが忘れられない。

 今日は、お通夜だった。リクルートの懐かしいメンバーや、インターネットの草創期の連中が集まってる。SFC一期生で今はブレインパッドの代表の草野隆史がいた。草野が昨年、信國と会った時に「草野、橘川さんと会ってるか」と聞かれて「ごぶさたしてます」と答えると「ダメだろ、橘川さんにもっと甘えなきゃ」と言ったという。ばかやろう、甘えなきゃいけないのは、おまえだろう、信國。ああ、信國の声が聞こえてくる。

 さよなら、信國。おまえのやり残しは、もう少し、オレが面倒みる。だから、天国ではエイリアスでないおまえを出せるようにしておけよ。そして、また遊ぼう。合掌。

【橘川幸夫】 林雄二郎さん1


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標題=静脈産業とフィランソロピー
掲載媒体=オルタナ No.1 Apr 2007 創刊号
発行会社=株式会社オルタナ
執筆日=2007年
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 林雄二郎さんは「情報化社会」という言葉を1969年に提唱した人であり、トヨタ財団の専務理事、日本フィランソロピー協会の会長などを経歴され、企業の社会貢献をダイナミックに推進された方である。昨年の秋、林さんの卒寿の会が霞ヶ関ビルであり、記念講演が行われた。90歳の実践的思想家の言葉はリアリティとパワーに満ちたものだった。講演の中で「日本はこれまで動脈産業ばかり追い続けてきた。ここで静脈産業という発想を持たないと日本は滅びる」と言われた。その時は、産業構造におけるリサイクルの構造のことかと思った。林さんは69年の著書の中で「最初から廃棄することを前提とした建築作り」などを提唱していたからである。ただ、その時は漠然と「それだけではないな」と思い、挙手をして質問したが、うまく会話が噛み合わなかった。昨年の暮れのある日、ふと「静脈産業」の言葉が閃いて「それはフィランソロピーのことなんだ!」と思った。林さんへの賀状にそのことを書いた。今年の新年元旦、のんびりしているところに突然、携帯電話に鳴り、出ると林さんの元気な声が聞こえてきた。「橘川くん、そうなんだよ! これまでの企業のフィランソロピーというのは、儲かりすぎた利益を慈善事業のように寄付するだけだった。これからの企業は、利益計画を立てる時に、あらかじめ社会への還元を考えながら進めなければならないんだ。良く分かってくれた、ありがとう」というようなものであった。

 フィランソロピーやCSRは、裕福になった企業の慈善事業であってはならない。そのような資金のバラマキは、新たな問題を再生産するだけである。社会から利益をあげる時に、すでに、社会に対して何が出来るかを考えるべきである。畑から作物を得たならば、畑をよりよい形で自然な姿に返さなければ、やがて、畑自体が疲弊する。

 私は現在「ODECO」という公立の小学校・中学校に企業のCSRの導入装置を作るための活動を進めている。子どもたちが置かれている状況こそが、近未来の日本の健全な姿のために最重要テーマだと思うからである。
 日本社会のあり方について、本気で考え、実行する人たちとつながっていきたい。




【橘川幸夫】 福島キッズの夏休み

福島キッズの夏休み


「ふくしまキッズ夏季林間学校」の報告会があった。311以後の福島の状況は、何よりも子どもたちのことを思うと、心が重い。今年の夏は、いろんな団体やグループが福島の子どもたちを汚染されていない環境の中でのサマーキャンプを企画した。多くの人が、原発事故に際して、まず福島の子どもたちを思い浮かべたのだろう。

 実行委員長の進士徹さん(NPO法人あぶくまエヌエスネット代表)は、「ねむの木学園」の指導員を経て、28年前から福島の阿武隈山地で自然学校を運営していた。その地元で、原発事故が起き、28年間の経験と実績が一瞬のうちに崩壊した。福島の豊かな自然の中で、子どもたちが遊び、学ぶ環境が失われたからだ。

 進士さんとは、副委員長の吉田博彦さんの紹介で、以前から面識があり、優しい人柄は良く知っていた。今回の事故が彼の心をどれだけ傷めつけたか、想像に余りある。僕らは、以前に「はじめての自然体験 」という本を共同して作った仲間である。

 進士さんの報告の中でこういうエピソードがあった。ある女の子がいて、参加するのを父親は反対した。祖父の家に泊まっても、すぐに帰りたがる甘えん坊の子が、知らない人たちと一緒に生活出来るわけがない、と。それでも母親の応援と本人の意志で参加して、帰ってきた。帰ってから、それまでしなかった母親の手伝いをするようになった。そして、「手伝うから、お駄賃10円頂戴」と言うのである。母親は怪訝な顔をしたが、理由を聞いて驚いた。今回の自然体験が素晴らしかったけど、お金がなくて参加出来ない子がいたので、寄付したいと言うのだ。彼女が北海道で学んだものは、とても大切なものだと思う。

 今回のプロジェクトは、寄付も予想以上に増え、当初は200人の募集だったが、最終的には518人が参加し、寄付金は5800万円近くになった。現地での費用は寄付でまかなったが、往復の交通費3万円は保護者の負担とした。全額タダだと、親の方も逆に無責任になるからとの趣旨だろう。

 日本各地で福島の子どもたちを支える動きがあったが、311以前から子どもたちの自然体験活動の必要性を訴えている、進士さんや吉田さんたちの活動は、とても充実していたようだ。ひと夏のイベントではなく、今後も長期的な活動を続けていくだろう。

■ふくしまキッズ夏季林間学校

■進士徹さんの「あぶくま日記」


【橘川幸夫】自分以外の者に期待することができるようになったら、大人になったということ。

自分以外の者に期待することができるようになったら、大人になったということ。

最初は自分のことしか考えない。それが普通だ。自分を信じたり、自分を疑ったり、自分に期待したり、自分に失望したり。そういう状況の時に、他人に期待したとしても、あくまで自分のためでしかない。自分のことで精一杯で、それだけしか見えない時がある。でも、それは必要な時間なのだ。その密室の中で、あがき、もがいたものだけが、ふと、木洩れ日のような他人と出会うことができる。自分のメリットとは無関係な他人の存在を感じることができる。他人とは、自分にとって最初の社会なのである。他人を信じることができるようになった時、あなたは社会的な存在になり、本当の意味での大人になれる。(希望の仕事術/バジリコより)

【橘川幸夫】 人をヘコます言葉は自分自身を傷つける。人を元気にさせる言葉は自分自身を元気にする。

人をヘコます言葉は自分自身を傷つける。人を元気にさせる言葉は自分自身を元気にする。


人に対して攻撃的な人がいる。人の言葉のはしはしや、動作のあれこれを容赦なく攻撃する。でもその言葉は、全部自分にはね返ってくる。人を元気にする言葉を語る人は、相手の元気が自分にも返ってくる。でも単なるお世辞は、攻撃的な言葉より相手を傷つけるからご注意を。(希望の仕事術/バジリコより)

【橘川幸夫】 資格がなくても生きていけるようになってから、資格を取るべきだろう。

資格がなくても生きていけるようになってから、資格を取るべきだろう。

資格マニアという人たちがいる。ゲーム感覚で、次から次へと資格を獲得していく。自分に対する自信のなさから、客観的な権威に頼ろうとすると、ますます、生身の自分で勝負することから逃げることになる。本当の自信というのは、資格なんかなくても生きていける経験を自分の中で育てること。その上で、社会的に取っておいた方が便利な資格を取るべきだ。(希望の仕事術/バジリコより)

【橘川幸夫】 お客様は神様ではない。神様だとしたら、神様からお金をもらってはいけない。

お客様は神様ではない。神様だとしたら、神様からお金をもらってはいけない。

故・三波春男が言ったという「お客様は神様です」というフレーズ。耳障りは良いけど、お客様が神様だったら、商売人はお賽銭を払わなければならない。お客様扱いして、裏でお金をまきあげようとしてはいけない。お客様は上の存在でも下の存在でもなく、普通の人間であり、普通の人間としてちゃんとした関係性を作らなければならない。(希望の仕事術/バジリコより)


【橘川幸夫】 スタイルは拾ってくるものではなくて育てていくもの。

スタイルは拾ってくるものではなくて育てていくもの。

誰かの真似をしても、自分の生き方にはならない。他人の考えを複写(コ ピペ)しても、自分の考えにはならない。外にあるものは、あくまでも素材であり、きっかけでしかない。それに水をやり、栄養を与えて、自分の中で育てていくことによって、あなた自身のスタイルを獲得していく。(希望の仕事術/バジリコより)


【橘川幸夫】 苦肉の策こそがナイスアイデア。

苦肉の策こそがナイスアイデア。

アイデア自慢の人がいる。次から次へと、アイデアを出す。でもアイデアって、平常の時に必要なものではなく、解決できない問題が起きた時に、そこを突破するために出すものだ。危機感のないところでのアイデアは、単なる呑気親父のダジャレに過ぎない。(希望の仕事術/バジリコより)

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